2020.10.07 Wednesday

この投稿に救われました【湖南市長 谷畑英吾さんの奥様の投稿】

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    私のブログにも度々登場する滋賀県湖南市長の谷畑英吾さん。

    議会事務局研究会で知り合って以来その首長ぶりに憧れを抱き、谷畑さんのような町政を実現したいと思ってきました。私の町長選に為書きをいただき、一層その想いを強くしていたのです。

     

    時を同じくして、谷畑市長も自身の市長選に出馬を表明したのですが、一転不出馬に。その裏事情とこれまでの谷畑市長の暮らしぶりを奥様がFacebookに投稿されました。

     

    かなりの長文ですが(奥様は2週間ほど欠けて書き上げたそう)、ぜひ読んでほしい!

     

    谷畑市長と私のレベルは全然違うのですが、小さな町の政治に関わる者として共感することしきりです。奥様の言葉はうちの夫が発しているようにも聞こえ、政治に関わる者を支える家族の言葉としても身につまされます。

    この投稿を読んで、どれほどの候補者が救われたことか。私もその一人です。

     

    ドロドロばかりが重荷になるような政治でなく、

    未来をつくる希望の仕事であるように現状を変えていきたい。

    そのためにどうすれば良いのか、深く考える日々です。

     

    谷畑英吾

    10月6日 7:44  · 

    【主人と共に戦ってくださったみなさまへ感謝の気持ちをこめて】

     

    《最初の一歩 フェイスブックと蝶ネクタイ》

    「谷畑か」

    「反谷畑か」

     この言葉を聞いて、失政がないと言われているにもかかわらず、

    「あ、おとうさん。おとうさんが仕事をすればするほど、ひずみは大きくなるよ」

     そう思いました。

     

     主人のFBお友達のみなさま、いつも主人との交流、ありがとうございます。谷畑嫁でございます。

     日頃は主人とみなさまとのFB上でのやりとりを楽しく拝見させていただいています。その中で、主人の「不出馬」に関していろいろなご意見ご感想をいただき、主人の事を思ってくださっている方がこんなにも多くいてくださることに感激し、もう少し主人の事を知ってほしいなとの思いで鉛筆を握りました。

     「なぜ?」、「どうして?」が、少しでも「なるほどね」と思っていただければうれしいです。小心な私ですが、勇気を出して書いてみようと思います。

     

     みなさんの主人のイメージは、蝶ネクタイをして、携帯片手にひょうひょうとした人みたいな感じでしょうか?

     主人が政治家となって約18年弱ほどだと思うのですが、前の10年は普通のネクタイでしたし、携帯もメールや電話連絡に使うくらいだったと思います。その頃のお話から始めます。

     

     約18年前、主人の出馬に際し、これから初めての選挙という時に、主人の父親に地元の元国会議員の先生という方から一本の電話がありました。

    「出馬を取りやめろ。やめないのであればぶっ潰してやる!」

     主人の父親は主人に言います。

    「出馬を断念しよう」と。

     しかし、主人は、県庁を退職して一大決心をしているので、

    「やるだけの事はしたい!そんな脅迫まがいな事に屈したくない!」

     そういう思いで、困難な選挙戦に向かっていきました。

     

     振り返ってみて、敵は最初から今と同じなのだなぁ。ただ、その時、私は、『家政婦は見た!』の市原さんみたいに扉の向こうで「あら、いやだ〜」と思っていたのです。

     

     約18年前から、選挙では政策論争ではなく、人格攻撃、しかも聞くに堪えない酷いものでした。選挙とお葬式は人間の本質が見えるといいますが、わがまちでは主人に「政策論争をさせない」、集団での個人に対する人格攻撃が得意なまちになってしまっているなぁと思います。

     主人はよく後継者が育たないと嘆いていましたが、「出る杭は打たれる」ですべて潰されてしまっているなぁと思いました。

     主人は打たれたら反撃していましたし、論戦では負け知らずだと思います。相手のみなさんはきちんと言葉のキャッチボールができない方々ばかりなので、自分たちでは勝てない主人に対する攻撃から、主人の周りにいる人に攻撃対象を変え、弱い相手を攻撃する事が得意な人々ばかりになってしまっているなぁと思います。

     まちをよくする事に奔走するのではなく、主人のあらを探すことに奔走してしまっている方々にはため息しか出ません。ねたみ、ひがみ、やっかみ、さかうらみが大きくなってしまった方々は、本当に気の毒に思います。

     私は、主人にはもう少し安心して仕事のできる場で仕事をしてもらいたいです。

    「人にされていやな事は、自分はしない」

     大人になってもなかなか難しいようです。

    「悪いこと、みんなですれば怖くない」

     こういうことなのでしょう。

     

     最初、主人は町長としての出発でした。

     財政破綻、教育破綻、すべてが破綻しかけの町なので、主人はほぼ家には帰ってきませんでした。

     日付けが変わった1時、2時に主人は帰ってくるのです。

     そうして、遅い夕食のあと、3時間ほどの睡眠をとり、また仕事に出かけます。土日は催事に追われ、ほぼ365日、休みは数日あるかないかの日々だったように思います。

     その時の主人の口癖でよく覚えているのが、トイレなどでの独り言で、

    「ア〜〜お金がない」

     寝ていても、

    「お金が〜〜〜」

     とうめいていました。

     主人いわく、

    「こんなにひどいとは思わなかったよ。スタートがゼロからじゃなくマイナスからだよ。はぁ〜」

     とよくため息をついていました。

     そんな、睡眠時間も少なく、あまりにたくさんの課題の多さに神経をすり減らし、何かのたびに、「若造が!生意気だ」と言われながらの仕事だったのです。その時、主人は36歳。今では30代の首長も珍しくありませんが、当時はなかなか風当たりが厳しかったです💦

     

    「主人は大丈夫だろうか?」

    「倒れていないだろうか?」

    「ひどい事を言われていないだろうか?」

    「お昼食べただろうか?」

     主人の「安否確認」、「生存確認」のため、私は「大丈夫?」メールを朝、昼、夕、夜中と繰り出していたのですが、ある日、

    「みさをくん」

     と主人が私を呼びました。

     主人は、私を人前では「嫁」と言ったり呼び捨てで呼ぶのですが、ふたりの時には「みさをくん」と呼びます。私は主人を「おとうさん」と呼びます。息子たちが生まれる前は「ちょっと」、「なぁ」という呼びかけでした。名前は恥ずかしいので今も呼べません💦

    「みさをくん。すごいアプリを見つけたよ。FBというアプリを使えば、僕の現状がタイムリーに届けられるから、心配を減らせると思うよ」

     という事で主人のFBデビューとなるわけです。

     私にとっての「安否確認」であり「生存確認」がスタートしました。なので、私にとっては記事や内容よりもFBに投稿がアップされる事が重要だったのです。

     主人は楽しい事や面白い事、また楽しい人や面白い人、何かをやろうとする人、変な事や変な人、がんばっている人が大好きです。なので、

    「どうせFBをするのであればそんな人たちともつながれる一石二鳥も三鳥もあるなぁ。おまけに、自分たちのまちを全国にアピールできるし、面白いよね」

     そして、いろいろ試しながら、今のかたちになったのです。

     

     ですが、FBを始めて、よい事ばかりではありませんでした。まちの現状を知られると不都合な人たちが出てきたのです。主人はFB上ではできるだけドロドロしたものよりも、夢や希望を届けたい、自分よりも強いものには毅然と、弱者には寄り添ってを心がけて対応していたと思います。

     しかし、よく思っていない方たちからは、

    「目立ちたがり」

    「FBばっかりして仕事をしていない」

    「ふざけている(蝶ネクタイをしているので💦)」

     主人が仕事をすればするほど、それを市民や他市の方や国が認めて評価してくださればくださるほど、よく思っていない方たちからの反発は大きくなり、主人としては、仕事をすればするほど亀裂が大きくなる矛盾に苦しめられていると思いました。

     

     蝶ネクタイの市長として、今ではみなさんに温かく見守っていただいていますが、きっかけは8年ほど前、鳥取県北栄町のみなさんが湖南市に来られた時のことでした。

    主人「北栄町の町長さんとみなさんが来るけど、なんか面白いおもてなしができないかなぁ~。名探偵コナン君の青山剛昌さんで有名なまちだよ」

     そう相談を持ちかけられて、

    私「それなら、コナン君みたいに蝶ネクタイにすれば?」

    主人「それ面白いね。コナン君は半ズボンだけど、蝶ネクタイは公式でも使われるしね」

     という事で、蝶ネクタイは北栄町のみなさまをおもてなしする気持ちからのスタートでした。

     思いのほか好評だったので、土日のイベントや催事に少しずつ使用していき、「湖南市」、「コナン君」と言う事で、まちの広告塔として、まちのアピールを市外にするために始めたのがきっかけでした。

     湖南市は甲西町と石部町が合併した市としてまだ知名度が低かったので、そのアピールとして市外の人にも知ってもらえる様に、「湖東三山」があるんだから「湖南三山」があってもいいよね、と面白い事は一度やってみよう、ダメだという前にできることは、面白い事はやってみようと、主人は協力してくれるまちの方々と次々に挑戦していきました。

     湖南三山などは、今では全国から参拝者が来てくださる様になって、地元やお寺のみなさんも喜んでくださって、主人も、

    「みんな喜んでくださっているしよかったよ」

     と言っているのですが、主人に市民のみなさんからありがとうの気持ちをくださればくださるほど、面白くない方々からの嫌がらせは大きくなっていきます。

     

    「隣の芝生はよく見える」

    「嫉妬、羨望、やっかみ、ねたみ」

     この負の思いはとても大きく強く、今ではストーカーのごとくなっています。主人のFBの投稿を打ち出し、重箱の隅をつつくがごとくあらさがしが仕事になっている方々の目が、主人のFBではなくどうか市民に向いてもらえるように願うばかりです。

     人と人とが監視しあう、まるで北のどこぞの国のように、主人が市をアピールしたり誇ったりした投稿に「いいね!」でもしようものならたちまち検閲のような苦言が届くと市民から報告を受け、複数の方から、「政治って怖いね」と声が寄せられ、複雑な思いをしています。これらは陰でこそこそ行われているのですが、姑息な手段だと思います。

     

     そこで、私は思ったのです。

    「反谷畑の方々は、仕事をしない、市をアピールしない人をご所望なのだ」と。

     

     私は主人と同行していろいろな所へ出向くのですが(人見知りが激しく、あまり人と話すのが得意ではないので、家に引きこもりがちな私を主人が意図的に家から連れ出します)、そんな時、

    「奥さん、みんなで一緒に写真を撮りましょ」

     と言われることがありました。

     最初のうちは写真に納まっていたのですが、そのうち、

    「いつも遊び歩いている」

    「いい生活をしている」

     そして、

    「あの人には気を付けたほうがいい」

     と言われるようになりました。

     何かのアクションをすれば必ずその反動がやってきて、気にしなければよいのですが、悪意には敏感に反応してしまい、善意で言ってくださる事にすら臆病になっていたのだと思います。その時から、すべての「写真一緒にいかが?」にNGを出してしまう様になってしまいました。

     

     世の中には、私なんかよりもっともっと大変であったり、いろいろなものと戦っておられる方々(家の中であったり、仕事場であったり、学校であったり、地域の中であったり)がおられて様々だと思います。主人の場合、市民の生命を預かる立場として、身命を削っての日々の戦いをしていますが、ごっこや言葉遊びやねたみややっかみの、あまりの主人とそんな方々の温度差に、私自身が嫌気が差し、「やってられるかよ!」と思った次第です。主人の決断を機に、批判や陰口、いろいろな負の重圧にあがこうと思い、社会への新しい一歩として、弱い自分からの脱却をしてみようと思います。

     

    《始まり》

     約18年前の朝。

     アイロンをかけていた私に、

    主人「ちょっといい?実は、仕事を辞めようと思う」

     朝、まだ半分寝ぼけている私は、

    私「へぇ?なんで?」

    主人「実は、町長選挙に出ようと思って」

    私「?」

    主人「くわしい事は、また帰ってきて話すね」

    私「うん」

     

     本当に何も知らないとは恐ろしいもので、選挙って、車に乗って手を振って、自分の名前を連呼するあれだよね、くらいにしか知識がありませんでした。主人がどれほどの覚悟を持って私に伝えてきたか、その時の私はあまりわかっていなかったと思います。

     

     主人の帰宅後も、

    私「おとうさん、家、建てたばかりだから、35年ローンみっちりあるよ。子供達もまだ小さいし」

    主人「そうだね・・・」

     

     この発言の前もなんか様子がおかしいな、元気がないなとは思っていましたが、まさにこのことだったとは!

     主人が県庁を退職するまでの数週間は「顔面蒼白」、人間ここまで顔って白くなるものなんだと思った事を、今でもはっきり覚えています。主人より顔色が悪くなった人を、私は見たことがありません。それくらいの真っ白でした。

     そこまでなるくらいの重い責任と不安、決意、覚悟、県庁での仕事への愛着などが入り乱れていたと思います。

     「学級崩壊」、「役場の財政破綻」などが出馬の理由だったと思います。県庁にいて、その事に自分が気づいてしまった。「自覚者が責任者」、私がこの言葉を主人から教えてもらう前から実践していたのだなぁ〜と気づきました。

     

     よく、「どうして出馬を許したの?」、「賛成したの?」と聞かれます。その時、後ろの橋(県庁)を落としたので、もう私には、前の橋を進む主人についていくしか道がありません。

     あとでよく、「旦那が出馬すると言ったら離婚届を前に『出馬と私どっちを取る?』って普通の人は言うんだよ、奥さん知ってた?」と言われましたが、答えは、知りませんでした。

     もし、早くにその事を知っていたとしても、顔を真っ白にして決断し、がんばろうとする主人に、そんな残酷な事は言えなかったと思います。18年も前なのであまり細かく覚えていませんが、「あかんかったら夜逃げかな?」って言った記憶があります。

     

    《言霊(ことだま)》

     主人は、自分の発する言葉にものすごく慎重です。責任を持って発言しています。主人をよく思っていない方から、

    「暴言を浴びせられた」

    「批判された」

    「どなられた」

     などなど言われています。

     

     私は思うのです。

     サザエさんに出てくる波平さんが、

    「ばっかも〜ん!」

     とカツオくんを叱る。

     ここでカツオくんが「暴言を浴びせられた」、「批判された」とならないのは、その相手を信頼しているからだと思います。

     「叱る」とは、相手の成長を促すこと。相手の「できていない点」や「改善すべき点」を指摘し、今後に生かして成長してもらいたいと思って叱るのです。「怒る」はただ感情をぶつけるだけです。

     主人にとって、仕事場(市役所)や市長バッチを着けての時は、相手の発言がいい加減であったり、無責任であったり、無知であった場合は叱るのです。主人は、市民の安心と安全、命を預かっていると常々思っているので、発言者が「そんなつもりはなかった」、「知らなかった」というのを決して許しません。

     市民の安全、命が「そんなつもり」、「知らなかった」では済まされないからだと思うのです。

     市長の聖域に土足で入っている事にすら気づかず言葉遊びをする者には容赦なく「ばっかも〜ん!」の鉄槌が下るのだと思うのですよ。

     私が観察した限りでは、「暴言を吐く!」と声高に言っておられる方の方が暴言を吐きまくっている様に思います。

     私は教えてほしいです。主人から「暴言を吐かれた」、「批判された」と言う前に、あなたはどんな言葉を主人に投げかけたのですか?と。

     

    《全国市長会までのあれこれ》

     ・近畿市長会副会長

     ・近畿市長会会長

     そして、

     ・全国市長会副会長

     ・全国市長会相談役

     主人の行動範囲が広くなればなるほど、「反」と言われる方々からの「ねたみ」と「嫉妬」の嵐に呑み込まれていきます。

     近畿市長会でご縁のあった市長様。

     全国市長会でご縁のあった市長様。

     主人は政策論争のできるみなさまとの出会いをいつもとても楽しみにしていました。

     近畿市長会での神出会長、辻副会長。両市長との出会いから、今まで自分のしたい事の同じ思いの同志を初めて得られたのかなぁ〜と思います。出張から帰ってきた主人は、身体の疲れはあるけれども、とてもいきいきと、いい顔をしていたことを思い出します。

     全国市長会では、立谷会長を筆頭に、牧野市長、前葉市長、清原市長、泉市長、吉田市長、松本市長、高橋市長、野田市長、横尾市長、大西市長、都竹市長、亀井市長・・・、名前を上げたらキリがなく、近畿市長会での神出市長、辻市長、阪口市長、田中市長、田岡市長、多次市長、小紫市長、上田市長、森山市長・・・、全国でブイブイいわせている市長たちとの議論はワクワクドキドキの連続であったのだろうな〜と。主人の出張から帰ってきた時の顔を見ると、とても明るくうれしそうだったように思います。

    「〇〇市長がね・・・」

    「××市長とね・・・」

     普段あまり仕事の話をしない主人の、この市長と「幼児教育無償化について国と戦っているんだよ!」、この市長の方々と「外国人問題について議論しているんだよ!」、こんないきいきと話す主人を見る事が出きて、本当にうれしく、感謝に堪えません。お互いの力を認め合い、信頼し合っての仕事は、地元ではできなかった事だと思うので、本当のやりがいを見いだせた全国市長会でのみなさまとの交流では、勇気と同じ悩みを持つ者同士の連帯感みたいなものを主人は感じているのかなぁ〜。

     全国市長会まで登りつめると、多選の市長が多く、「悩みはみんな似てるよね」とよく話してくれていました。主人とご縁を持ってくださった全国の市長様、ありがとうございました。地元ではあまり認めてもらえないので、市外でのみなさまとの交流は、主人にとって自分を奮い立たせる力をいただいていたと思います。

     

    「議長就任パーティーの発起人をしてほしい」

    「叙勲パーティーの発起人をしてほしい」

     すべて前日までは、ごますりと美辞麗句で彩られますが、終わった次の日からは、またいつものごとく悪口三昧。

     主人が滋賀県市長会長に就任したときも、近畿市長会長に就任したときも、全国市長会副会長に就任したときも、主人の功績は禁句のようになかったものとされていました。ま、いつものことですがね。

     

    《7億円》

     約8年前、今回の選挙と同じ方と戦った選挙があったのですが、その時、今でも忘れられない事があります。私達夫婦のまわりは、18年前から誹謗中傷、いやがらせ、怪文書のオンパレードです(ちなみに私は18年でクリアファイルまるまる1冊の怪文書コレクターでもあります)。

    「甲西町民の皆様へ・・・・・・」(正義の味方 十二坊天狗)

    「甲西町議会議員のみなさまへ」

    「狂ったヤブ医者(生田)は故郷へ帰れ!」(甲西町を住みよい町にする会)

    「湖南市の将来を見る!」(石部の天狗より)

    「谷畑英吾の傲慢さ、彼を市長にしてはいけない(No.1)」

    「傲慢な首長の元で職員はやる気をなくしている!!谷畑英吾は市長になる器ではない(No.2)」

    「国や県が違法性があるとして指導している、タバコ小売誘致条例が、いま何故必要なのか!!(No.3)」

    「住民は騙されないぞ!!谷畑英吾選挙事務所を訪問してびっくり!!やっぱりそうだったのか!!選挙事務所は特定団体(民主・連合)のメンバーで固めている!!(No.4)」

    「民主党崩壊は必然 残念だが救いようがない」(湖南町ニュース)

    「公立甲賀病院移転新築移行時に絡む湖南市長・谷畑英吾のドス黒い噂」などなど。

     多種多様な主人宛ての怪文書を集めています。

     

     ある日、一本の電話から始まりました。

    電話「正直に言いや!」

    私「?」

    電話「7億円もらったやろ!」

    私「7億円?」

    電話「私らは聞いて知っているんだよ。甲賀病院を建てる金の一部をもらったやろ!」

    私「?!」

     要は業者から7億円もらったとのうわさ、風評被害なのですが、こんな陳腐な話もまことしやかに流れるものなのだ。そして、みなさん、あっさり信じてしまわれるんだと思いました。風評被害おそるべしです。

    「7億円、本当にもらっていたら、私は今ごろハワイに別荘でも買ってシャンパンでも飲んでいるよ」

     と心の中で思いながら、この手の風評被害のたちの悪さを痛感させられた一件でした。

     

    《背中》

     毎年夏になると、京都の下賀茂神社の古本市に京都の古本屋さんが30軒前後ならび、かき氷や軽食のお店がお祭りのようにならびます。

     主人はこの古本市が大好きで、いつも時間を何とか工面し出かけるのですが、その後ろ姿がまるで子供の様で、「じゃ」と言ってそそくさと行ってしまいます。一直線で振り向きもしません。

     その間、私はかき氷を食べながらボーッと本を買う人や景色を眺めながら過ごすのですが、それも飽きて主人を探し始めます。本に夢中になっている主人を見つけ、

    「おとうさん、1時間くらいたったけど、まだ?」

    「えっ、もうそんなに経った?まだ半分も回れてないから、もうちょっといい?」

     まゆ毛を下げてお願いされたらいやとは言えないので、

    「しゃあないなぁ。」

     となります。昔は子供達もついてきたのですが、今は誰もついてこなくなったので、私としては一人神社の散策をしているのです。

     古本市は、主人が無心になって楽しめる数少ない楽しみの一つだと思っています。

     主人は自分の持ち物などは機能性さえよければこだわりはまったくありませんが、本となると話が変わります。

    「この本はね、3冊そろってあるなんて、しかも3冊で1500円だよ。1冊7000円でも手に入らないのに、掘り出し物だよ!」

     私にはボロボロの色あせた本なのですが、主人には宝物に見えるのです。

    「この本が1冊100円だよ、すごいよ!」

    「すごいよ!今年はこんなに買ったよ!」

     その本は、すべて人物や政治や日本に関係あるものばかりだったと思います(たまに、怪獣大戦争みたいなものも混じっていましたが)。

     私が見る年に数回あるかないかの数少ない主人のうれしそうな姿が、笑顔が見られる日であります。

     

     今年はコロナの影響で行けず、その笑顔も見られませんでしたが、主人は市民の笑顔が見られるために仕事をします。目線がいつも市民の方たちの方に向いています。

     人はみな、ふとした時に孤独感みたいなものを感じる時があると思うのですが、それにも深さや濃さがあるのではないか。私の感じる孤独と、主人の感じる孤独は、まるでまったくの別物だと気づきました。

     市民の生活と命を預かっていると自覚している分、その責任の重さで緊張感と毎日戦っている、自分と戦っているように見えました。

    「市長はいつ寝ているのですか」

    「睡眠は何時間くらいですか?」

     という問いに、私は、

    「2、3時間くらいだと思います」

     と答えるのですが、枕元に2台の携帯が置いてあり、火事やその他の災害や万一のための緊急事態に備えて、いつも緊張しながら寝ているせいか、とても睡眠が浅い様に思います。

    「ピローン」というデジタル音やマナーモードの「ブーブー」という振動に敏感に反応し、火事が起これば「ちょっと心配なので見てくる」と言って出かけて行き、明け方まで帰ってこないこともしょっちゅうです。

     

     そんな中、新たにコロナという未知なるウイルスがやってきました。

    「お客さんが来なくて、このままでは店が・・・」

    「子供がいるので会社に行けない」

    「このままでは、会社や店が持たない」

     などなど、私が知っているだけでも、不安が市内にまん延していました。

    「一刻も早く手を打たないと!」

     主人はまた、ただでさえない睡眠を削って仕事をします。

     そんななかで、「1人10万円の給付金」というのがあったのですが、市内では「日々の生活がままならなくなってきた!」と市民の声を聞き、一刻も早く手元にお金を届けるための仕事をGW返上でしていました。

    「職員達も熱くこたえてくれて、県内で一番早く届けられてよかった、よかった。でも、まだこれからやらないといけない事が山積みだからね」

    「からだ、大丈夫?」

    「まっ、なんとかね」

     そんなこんなの世の中大変な時に、陰ではドロドロとしたものがうごめいていたなんて、この時の嫁にはまったくわかっていなかったのです(書いていてサスペンスみたいだな)。

    「給付が早ければいいってもんじゃない」

    「パフォーマンスだ」

    「選挙目的だ」

    「もっと他にやることがあるだろ!」

    「目立ちたがり」などなど。

     

    私「お父さん、めっちゃ批判されてるよ。大丈夫?」

    主人「市民の方からはよろこんでもらえているので、僕はそれでいいよ」

    私「言っているのはいつもの人達だろうから、ま、いいか」

     市民と市外からは評価されますが、ことごとく市長のする事には批判が付きまといます。市民のためにと、すればするほど、あちらの方々から批判されるので、市が良くなれば良くなるほど、他市から評価されればされるほど、批判は強く濃くなります。

     嫁は思います。

    「すればするほど、その方たちの何かを刺激してしまう」

     そんなふうに思いました。

     

     主人が今回の選挙に出馬表明してから、嫁は思うのです。

     ある方は言います。

    「私は市長を応援している。どうしても勝ってもらわないと困る。だけど、身体はあちらに行く。だが、心は市長のものだ」

     またある方は言います。

    「私の本心は市長だ。だが、親が病院に入っている。なので動けないが我が家は市長だ」

     私が聞いただけでも、数十件はみなさん心と身体が分断されていました。みなさん、なにがしらかのしがらみにしばられているのです。

    私「おとうさん、どうしよう」

    主人「う〜ん。無理やり来てもらうっていうのは、僕はなんか違う気がするんだよね」

     そこからまた主人の背中は深く濃いものを背負った様に思います。

     

    「出馬を見送ろうと思う」

     ぽつりと主人が言いました。

     出馬表明から出馬見送りまでの間の主人を見ていると、約18年前の主人が出馬しようとした時の事を思い出します。

     

     昔、アニメ「一休さん」で、本当のお母さんとニセのお母さんが子どもの両手を引っ張るシーンがあるのですが、子どもが泣き叫んで、「痛い、痛い」と言うので、本当のお母さんが思わず手を離してしまう、そんなお話しだったと思います。

     

     主人は、谷畑と反谷畑で身体と心を引きはがされたり、主人のFBに反応する方がいやがらせをされるなど、陰のしがらみの力で市民を分断したくないのです。

     自分に目を向けるのではなく、市民や湖南市の未来に目を向けてほしい。

     自分が市長として仕事をすればするほど、いや、仕事をしている限り、彼らは私の行動や発言に囚われて市民に目を向けない。主人はそう自覚してしまったので、大切だけれども市民の手を離さざるを得なかったのではないかと思います。

     

     FBでは、たくさんの励ましと、

    「どうしてやめる必要があるの?戦って!」

    「一生懸命しているのに」

    「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」

    「どうして?」

     のメールをいただきました。とてもうれしく、とても切なく見ています。

     主人は、身に覚えのない批判や悪意(慣れたくありませんが日常化しています💦)には断固立ち向かいますが、好意や善意にはあまり慣れていないので、とある市長から電話をいただいた時は背中が泣いている(対応がぎこちないです💦)。よっぽどうれしかったのだなぁと思いました(勝手にそう思っているのでごめんなさい💦)。

     

     出馬をやめる話を主人から聞いた時、正直、ホッとしました。これでゆっくり眠れるね、と。

     『少年ジャンプ』の三大原則に、「友情、努力、勝利」と言うのがあるのですが、私も主人もアニメやマンガも大好きなのです。その、私から見て主人の三大原則は、「信頼、勇気、希望」だと思います。

     裏切りや相手を貶める策略のまちと化して、自分より秀でた者をねたむ性質。他人の成功を喜べない、肝の小さい人間にはなりたくないなと思った次第です。

     

     全国の主人と共に戦ってくださった市長のみなさま。

     市役所で市長(主人)と共に戦ってくださった職員のみなさま。

     そして、主人を支えて共に戦ってくださった市民のみなさま。

     市長谷畑英吾と共に戦ってくださった全国のみなさま。

     誠にありがとうございました。

     

     FBのお友達のみなさま、いつも主人に励ましや愛と勇気と希望、戦う力の元気玉をありがとうございました。心が折れずにここまでこられたのも、日々励まし続けてくださったみなさまのおかげです。誠に誠にありがとうございました。

     引き続き、面白い事、楽しい事が大好きな主人の事をよろしくお願いいたします。

                       嫁

    追伸

     いつも「おはよう」「ご苦労さま」ねぎらいの言葉をくださる田中進様、毎日主人の事を気にかけてくださってありがとうございます。

     そして、主人を希望のお星様と言って下さる茶々ゆかり様。私にとってその言葉をくださる貴女が希望のお星様です。感謝



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