2020.10.10 Saturday

学校の目的、体育の目標【元麹町中学校長・工藤勇一さんの投稿から】

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    元東京都千代田区麹町中学校長の工藤勇一さんが、Facebookに「体育の授業」について書かれているのを目にしました。共感したのでシェアします。

     

    工藤さんは「目的を明確にした上で取り組むこと」を常に行っていて、月形町の学校教育にも取り入れたいと一般質問に取り上げたこともあります。この「体育の授業」に関する考え方についても取り入れられたらいいんですけれどね〜。

     

    工藤 勇一

    10月8日 6:10  · 

     

    体育を子どもたちのために一生懸命指導している先生たちに申し訳ないと思いながら、あえてこれを書きます。

    僕は麹町中の校長のとき、信頼する2人の体育の教員にこんな質問をしました。

     

    「なんで、跳び箱やらマット運動、鉄棒などやるの?」

    「そもそも学習指導要領に何をやりなさいなど、そんな細かいこと書いてあるの?」

    「何でこれが上手にできるようにならなきゃいけないの?」

    「それを上手にできるようにする教員が優れているの?」

     

    私はさらにこう付け加えました。

    「もともと体育は戦争にいけるような丈夫な体をつくるためにさまざまな種目が考えられたんでしょ。」

    「確かに逆上がりできなかった子が、苦しみながらも試行錯誤してできるようになった時の喜びは、その子の人生において特別なものになっているかもしれないけど、そもそもすべての子どもにそんな体験させる必要があるのかなあ?」

    「体育の目標は運動を生涯にわたって楽しめるようにすることじゃないの?」

     

    教員はそんな質問されて驚いていました。もちろんそんなこと、今まで改めて聞かれたことないからです。

    もちろん、嫌がらせでこんなことを聞いたわけではありません。

    「だからこそ、みんなが楽しめる体育にしよう。何の種目を扱うかなど、カリキュラムも含めて改善していこう。」

    と繋がっていったのです。

    そして、同じようなことを音楽や美術などを含めて多くの教員とも話し合いました。

     

    素敵な体育の先生たちとの出会いで人生を豊かに歩むことができた子どもたちがたくさんいます。しかし、個人的には「体育」は名称も含めて、改めて考え直す時がきたように感じています。

     

    体育に限らず、教師になろうとする人は、そもそもなぜ教えるのかを常に自問する必要があるのだと思います。

     

    学校の目的は、誰一人置き去りにすることなく、社会でよりよく生きていけるようにすること、そして、よりよい未来の社会の姿をつくっていくこと、そのためにあるのだと、私もようやく最近言語化できるようになったばかりです。

     

    他者の違いを尊重し、主体的に生きる子どもたちの育成が求められる今、教師こそ、そうした人間として成長しなければなりません。

    新型コロナや災害などが度重なっておこっている現在、国や文科省におんぶに抱っこじゃなく、我々自身が当事者としてできることをやっていかなければならないと考えます。


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